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| 今江清造氏 建築塗装・・・平成3年度受賞 |
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| 二十歳代後半、先代が興した洗いの仕事を本格的に始めた。先輩は全員自分より若い。まず、先輩に勝つにはどうすればいいのかと考えたそうだ。 |
| 「私は戦中派の人間。修身で習った二宮金次郎がすきです」と言う彼は、道具の持ち方など基本的なことしか教えてもらえない職人の世界で、ただ努力と根性で、朝早くから夜遅くまで仕事に精出した。そして遅れを取り戻した。「スパルタ」で自らの腕を磨いたのである。 |
| あく洗い工事の初期 |
| 古来より日本の家屋、建物は木造建築で出来ております。戦時、戦後長い年月と共に、痛み、汚れ、ヤケ等、老化した建物を、あく洗いをして初期の美しい木面にするため、特に戦後は盛んに行われていた職業である。 |
| 住まいと、木造の調和 |
| 充来日本人の住居は、白木作りといった自然木の美しい素質を生かしたものが多く、それぞれ違った趣味の素性に合った建築を自ずから好み、見る、住む、心の柔わらみと言った調和の中で暮らしてきたものであります。 |
| 業界の流れ |
| 現在は文化、経済の発展に伴ない、木造建築から高層化、洋風建築に近代化され、塗装されるものが、ほとんどとなって来た。しかし、現在の京都府塗装工業協同組合も古くは、京都塗洗工業組合と言った名称であり、当時は洗い工事等がほとんど全国的に行われていた。 |
| 充来の洗い工法 |
| まずお湯を沸かし熱湯にし、その中に苛性ソーダを溶かし、効力濃度を舌の先でしびれる感覚を計り、木地の汚れや、ヤケの状態によって、濃度の調節をして塗布を行い、浮いてくる汚れを水洗する。更に苛性ソーダの(アルカリ性)を蓚酸で中和させ、元の清水状態に戻し、再度水洗して表面拭き取り仕上げとする。 |
| 洗いの技術の特色 |
| 洗いの技術者としての特質技術がある。すべての道具は自分が作る事から仕事をする。苛性ソーダに使用するホーキ(ボンテ)といって、物を溶かすソーダーには琉球の畳の茎で以って作り使用する。更に堅く拭きこんだ木目などの汚れを落とすために、こする(ササラ)がいる。八竹という若竹で皮の面をうすく削り最細線に割り(ササラ)を作る。これなどは市販でなく、洗い職人でなくては出来ない手技法である。次に洗いを行う。(苛性ソーダ)の濃度調整などは特に難しく、木地を荒らさず痛めず洗うことは永年の技術工でなくては出来ない事です。(濃いと木地を焼く)
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| ※苛性ソーダの濃度調整、ササラの柔軟な製作等。 |
| 最近の洗い工法 |
| 最近では特殊な、ハグリ剤的な製品でもって表面を塗布し、汚れを浮かし洗浄する工法で、メーカーが開発している液で施工をしている様だが、古代建物の木目深く荒れている面など美しくするのに苦労がある様です。 |
| 洗い工事の必要性 |
| 京都では今でも、木造高級建物、神社、仏閣、お茶屋、住宅等が多くあり、白木造りの無くてはならない個性ある風物美観を保存して行く上に、必要な業種である。近年では関東辺りには仕事をする技術者が少なく、京都の業者へ依頼されることが多くなって来ている現況です。 |
| 専門業者としての技術革新 |
| 当社としては、永年経験した技術施工は勿論だが、更に美装と言った磨き仕上げの研究を重ね、洗い後の素面をより美しく、手ざわりの好さ、材質の自然美に光沢を加えて長期保存と一層の美装仕上げと言った工法に研究努力しております。
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| 当社の対応 |
| 今後の対応策としては、数少ない専門業者の一人ではありますが、京都に住み特技の仕事が出来ることを誇りと共に、その需要に答える対応に努力しております。 |
社員の技術向上、若年入職技術者の育成等、指導、アピールに力を入れ、古都建物を守る技術者として対応して行くつもりです。
※あく洗い、美装工事現場(例) |
| 振り返って、進歩していく |
| これまで手掛けた代表的なものを列挙すると、アメリカのフィラデルフィア日本記念館、ニューヨーク・ロックフェラー財団の茶室、伊豆長岡旧三菱財閥岩崎邸、京都御所蛤御門等五ヶ所の門、霊山護国神社をはじめとする京都の社寺仏閣などである。氏があく洗いした家を見た人によると、息をのむ美しさであったそうだ。 |
| 建築にも当然近代的な近代的な感覚が必要であると言う。「日本古来の木造建築を保存していく一方、建物が鉄筋になっても、たとえば、窓枠に手垢がついたりして、必ず汚れは出るものです」。これからも、塗装を兼用しながら、時代に合った洗い方を考えていくそうだ。 |
| 「美しくすると人に喜んでもらえる。そのためには、それまでの仕事を振り返り、もう一度振り返ってみる。これが進歩につながるのです」と、常に前進することを身上としている。 |
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