八田信太郎氏 建築塗装・・・昭和62年度受賞
 
難工事を完遂
 建設工法は想像もつかないほど高度化し、多様化してきている。当然のことながら建築塗装の施工技能もまた同様であり、新しい塗料も研究開発されて、科学的知識と調合技術も要求されるようになってきて、従来の塗装というせまい枠の概念を越えようとしている。そうし著しい進歩を見せる現代にあってもなお長年の経験の蓄積は新しい施工法の開発の礎となっている。
 十六歳の時から塗装業の道に入り、時代の変化と技術の進歩をまのあたりにしてきた八田さんは、絶えず新工法の研究につとめてきた。
 その成果は早速昭和二十六年施工の滋賀県庁の外装洗浄工事及び塗装工事で発揮されたそれは関西の大手業者が手掛け、次々と挫折した後をうけてのことだった。落とす材料の不足に加え、フッ化水素に着目したものの、薬の調合具合が難しかった。さまざまな試みの後、新薬品を研究開発して難工事を完成させた。
 その時、八田塗装店を創業して五年目のことだった。
 滋賀県は八田さんの故郷でもあった。八日市市に生まれ、学校を卒業して十六歳で塗装店に就職した。当時は何より手に職を持つことが何よりとされた。
 昭和十二年に応召、中支へと渡り、満州除隊となった後、八幡製鉄所大治鉱業所に勤め、日本に引き揚げてきたのは同二十一年のことだった。その九月に八田塗装店を創業する。塗装職人はまだ少なかった。敗戦後のこととて、仕事がさほどあるわけでしなく、空襲を避けるために施された迷彩をおとす仕事などをしてしのいだ。
 
技術より頭
「技術より頭」と八田さんは言いきっている。使う材料のほとんど化学製品なのだから、科学的知識を備え、それを応用して各メーカーの材料の長所、短所を見抜き、最適の組合わせを選んで施工してはじめてプロなのだと。
 そんな八田さんは、昭和五十一年にはコンクリート、モルタル、ブロック壁面の亀裂防止、完全防火の役目を果たし、美装化と無公害の実用的かつ大衆的な内外吹付塗料による新工法を研究開発した。
 さらに、船舶の内装工事からヒントを得て、建築現場での塗装工事の難点を解決し、しかも高度な塗装技能を活かすことのできる施工法として工場塗装を考案した。
 これは塗装業を、従来のペンキ屋的なものから脱して、米国風の塗装方法へと方向づける礎をなした。
 塗装業といっても新装工事は無論のこと、ひび割れや剥離調査、含有塩分や漏水調査、中性化深度やコンクリート圧縮強度、シーリング劣化の調査などの調査と診断を行って建物を再生させたり、外壁改修や防水改修、床改修なども行っている。その判断ができる知識と技術も要求されている。
 建築基準の改正などで、こけからも、新しい様式にマッチした工法の研究開発は不可欠である。八田さんの姿勢は確実に受け継がれ、そうした時代を拓いていくに違いない。